稲置街道38 安井城の守護神・使いの狐・白龍

安井の山神社社殿は標高7mあまりの古墳状の丘の上に東向きに設置されている。

拝殿は切り妻造棟入で腰板が張り巡らされているものの壁の無い吹放しの社殿だ。

殿内はコンクリート叩きの土間になっており、

中に入って参拝できるようになっている。

祭神は大山祇神(オオヤマツミ)だが、

ねね(秀吉の正室)の養父、浅野長勝と安井将監(しょうげん)が安井城を築いた際、

鬼門の守護神としてここに勧請したものだ。

つまり、安井城は山神社の裏鬼門(西南)方向に存在したようだが、

教育委員会の案内書によれば、

東西約160m×南北約150mという大規模な館だったと伝わっている。

安井は矢田川の堆積地であり、昭和初期に耕地整理が行われるまでは

松・榎・椿・竹などが鬱蒼と繁っていた場所でもあり、

安易に水の汲める井戸(=安井)があったとしたら、

安井城内くらいしか考えられない。

拝殿から両側にコンクリートブロック壁の張られた渡り殿が延びており、

その先に続いて同じく全高を2mほどに上げたコンクリートブロック壁に囲われた

素木の覆い屋があり、その屋内一杯に銅板葺神明造の本殿が祀られていた。

(写真中)

その基壇は未加工の自然石を積んだものだった。

境内社のお福稲荷はこの山神社本殿の北東の麓に祀られており、

その奥宮が山神社本殿の北西に穴稲荷の形で祀られているのだが、

前回やって来た時には設けられていなかった拝所の屋根が設置されていた。

狐が稲荷神の神使とされるようになったのは平安期のことで、

一説には稲荷神と習合した宇迦之御魂神の別名、御饌津神(ミケツ)に

狐の古名「ケツ」を当てて「三狐神(ミケツ)」としたのが始まりだとされる。

つまり、ただの駄洒落だったのだが、

日本語は同じ音で複数の単語が存在することから、駄洒落は発生しやすく、

駄洒落であってもつながりがあるのは言霊による必然であり、

パワーを発揮するとするのが、藤原氏系日本人の基本的な考え方だ。

どこの馬の骨かも分らなかった、藤原氏にとって、

実質的な意味の無い言葉遊びは都合の良い創造ツールだったわけだ。

山神社の境内社として、もう1社、白龍大神が山神社の南東の麓にある

干上がった池の畔に祀られている(写真右)。

ひび割れたコンクリート叩きの参道を跨いで、

細い木材を使用した白塗りの汚れた鹿島鳥居があり、その奥に

山神社本殿の覆い屋とほぼ同形式だが、白壁の覆い屋があり、

その屋内に銅板葺流れ造の社が祀られている。

龍大神の「白」は

五行説の五色の中の「白」を当てたものとするのが一般的な見方だが、

青龍、赤龍、黄龍、白龍、黒龍の中で、そのまま社名となって祀られている例は

白龍と黒龍しか遭遇していない。

龍蛇の神の名称は龍神、水神、弁財天、宇賀神、大己貴命など

さまざまな名称で使用されているが、

尾張では「白龍」名称がもっとも多く目にしている。

しかも、他地域では水に関連して龍神が祀られているのに、

尾張の白龍は樹木に関連して祀られているのが主流だ。

しかし、樹木の中にも水脈はあるわけで、そう考えると、

周辺に水流や水の存在する近くに育つ樹木を

神体として祀られていることが多いような気がする。