生き辛さを抱える人と「その人の個性・性分・そうなってしまうもの(変わった人)」の 「私」

姪っ子に送ったメールですが皆様にも。

***

From: caravan

Sent: Thursday, April 27, 2017 8:06 AM

To:

Subject: ちょっと難しいか?今は難しくても、ちょっと保留棚に置いといて考える材料のひとつにしてね。

***

「そんな事いちいち考えてもしょうがないじゃない」

「そんなん誰も考えないよ」「細かい」「神経質」

「貴女は変わってるから」

何かが起きる。誰かの発言。その起因するところ、物事を

多方面(シュミレーションや憑依)、保留棚、見聞きした他意見、

考えたい癖を持つ私に、そうではない人からは

「何故、貴方はそうなのか」

「もっと物事を簡単に捉えればいいではないか」と呆れられる。

そうか、考え過ぎなのか。と、もっと簡単に、あまり考えずにやってみた。

あっという間に場を害し、害した重みに苦しんだ。

やってみてわかった。

私にとって何通りもの道筋を考える事は最善手を探すこと。

何通りもの道筋を探した末に場を害したら、もうそれは自分の力の及ばないところ、

仕方がないと諦めがつく。

考えることは心が折れないためのサバイバルなのだと。

***

上記は 『私たちが哲学をとおして「再発見」したこと 』

対談 宮子 あずさ × 西村 ユミ

http://jnapcdc.com/LA/ay_dialogue/ay_01/phone/

を読んで思ったこと。

下記は絵を描くためにひく線の話ですが、これを

「その人の個性・性分・そうなってしまうもの(変わった人)」の

「私」として読むとなるほど、と思う。

他人事からいきなり当事者事になる一文。

偶然、読み返したら出てきた一文ですが、上記の

「何故、貴方はそうなのか」のアンサーとなる一文でした。

***

一本の線を描くのも容易ではない人間が引いた線は、そうではない漫然と描かれた線とは、視覚的に見てもどこか感じが異なります。線は概念では単なる一本の線にすぎないのですが、その意味や受ける感情や感覚の拡がり方がまるで違います。一本の線から描いた人間の喜びや怒りやとまどいなど、さまざまな感情を感じとることができます。

岡本太郎アール・ブリュット 生の芸術の地平へ」展に寄せて  

テキスト中津川浩章より一部抜粋

(参加作家は生きづらさを抱える人達です。)

岡本太郎アール・ブリュット−生の芸術の地平へ 

http://kobo-syu.blogspot.jp/2014/07/blog-post_10.html

***

「常に選びようがない中で選び続けていく人たちと関わるのが看護」宮子あずさ

「誰かが発見したことばにを手がかりにみなが自身の経験を考えることで、意識しないで行っていた実践にいろいろなことばが与えられていくんです。するとつらかった経験やひどく傷ついた経験が別様の意味として解釈し直されたりする。あるいは、他のナースが何十年も大事にこだわってきた事実を知ったりもする。そのようなことが現場での経験にはいっぱいあるんです。」

「その出会いにグッと惹かれる時こそ、その人がもともと持っているぼんやりとした問いが「はっきりとした問い」になる瞬間だと私は思います。」西村ユミ

私たちが哲学をとおして「再発見」したこと

対談 宮子 あずさ × 西村 ユミ

http://jnapcdc.com/LA/ay_dialogue/ay_01/phone/

第1回「肉体と身体」

http://jnapcdc.com/LA/ay_dialogue/ay_01/phone/ay_01.html

第2回「生きづらい人生、気前よく」

http://jnapcdc.com/LA/ay_dialogue/ay_02/phone/

第3回「私だけの〈問い〉の見つけ方」

http://jnapcdc.com/LA/ay_dialogue/ay_03/phone/