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駅は見ている 横浜駅

この気まぐれシリーズ第7弾は、実は流浪の民横浜駅です。

 最初の横浜駅を名乗ったのは、日本最古の駅の一つである桜木町駅です。その手前は神奈川駅と言いました(今は無い)。これを頭の片隅に覚えておいて下さい。

 そもそも、横浜という地名の由来は何だったのでしょう。ブラタモリをご覧の方はお分かりかと思いますが、イメージ的には、葛西臨海公園の渚を思い出して下さい。

 彼処は人工の浜ですが、嘗ての横浜はあれを大きくした様な感じでした。

 要は、陸に並行する形で細長い砂浜と、それに沿った内海が有ったのです。それを埋め立てたのがかの有名な関内で、築地同様、外国人居留地でした。

 

 斯様な成り立ちの場所なので、旧東海道の宿屋(今でもある)此処迄は直で通る陸路は無かったのです、先見の明の有った、高島嘉右衛門(実は易学の始祖でもあり、安政の大地震も予言した事でも有名)が此処に繋がる様に人工の高架線を作り初代駅は誕生しました。

 2代目になった駅は、此の駅が行き止まりの構造で(これは五輪直前の同年5月18日迄終点だった)、方向転換出来ない蒸気機関と、交換の手間がネックとなり、直進出来る場所に新線をもうけ移設し、その結節点に作りました。

 後に高島町と言われる駅で、此の高島は言うまでもなく、彼の苗字を取ったものです。混乱を避けるため先ず高島町駅を作り、後に横浜駅となりました。立派な駅だったのですが、関東大震災と空襲で大部分が消失しました。今日残っている痕跡は、ごく僅かです。70年程存在した、東急東横線高島町駅は此の付近に有りました。

 3代目が今の場所になりますが、昭和に入ってから直ぐの3年10月15日の事です。此の時に、700メートル先に有った神奈川駅は廃止に。

 ほどなく、東急東横線京急の駅も開通して開業、その後相模鉄道が開通し乗り変え駅になり戦前の時点で1大ターミナル駅に。

 普通に見ていると、気付かないのですが、此処は面白い事が有ります。

 京浜東北線のホームが3、4番線なのですが、はて1、2番線はと疑問に思う方もいるかと思います。東海道線の方を見ても番線が増えるばかりで、見当たりません。実は1、2番線は京急側が受け持っていて。通し番号なのです。

 私としては、今は無い駅ビルCIALを思い出します。丁度2004年初頭(1月30日迄)有った、東急東横線桜木町駅に行く為に地上2階で直結していて、良く通り道に成っていました。

 地上区間廃止後も暫く残っていたのですが、近く似合ったエクセルホテル東急と共に消滅してしまい、次の五輪の時に30階立てのビルに変るそうです。

 それは、今ではもう無いダイヤモンド地下街と同様、利用者の記憶の片隅に追いやられそうです。